日比谷公園 [公園]

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日本で最初の西洋型(ドイツ式)公園であり、都心に16haの広さを持つ日比谷公園である。


日比谷は、江戸開府当初入り江、すなわち「海」であった。当時は漁場として「海苔ひび」(海苔漁の漁具で、竹やそだを浅い海底に立てて綱を張り、そこに海苔を付ける)が入り江に沢山立てられていたこと。開府早々に埋立てられ周辺より少し低かったため、「ひび谷」・・「日比谷」になった。

日比谷の広大な敷地に公園が作られるまでには、幾度かの土地利用の変遷があった。
江戸時代外堀の内側には大大名の広大な屋敷が並び、この場所には、毛利・鍋島藩の上屋敷があった。
維新後、廃藩置県と近代国家への移行に伴い政府機関の建物や施設が皇居を中心に建てられる中、当時の「富国強兵」を反映して軍部が広大な土地を占めた。今の「丸の内」や」「大手町」周辺は軍の施設を集めており、その当時の日比谷公園は、陸軍練兵場であった。
その後、政府機関を霞が関に集積したり、軍の関係施設を赤坂周辺、陸軍の練兵場を火薬庫があった青山(現在の神宮外苑)へ移動させる。陸軍施設の皇居周辺からの移設理由は都市の近代化と言われるが、1878年(明治11年)に起きた西南戦争の報奨をめぐり近衛が起こした騒乱事件「竹橋事件」が、理由の一つとも言われている。ちなみに現在の丸の内は日比谷公園同様に開府後の日比谷入り江の埋立てによって出来た土地で、元の外堀が内堀になり、外堀と内堀の間の土地には親藩・譜代の大名屋敷が置かれ、南・北奉行所も置かれていた。先に述べた維新後の軍部・政府機関の異動後は、1890年(明治23年)に岩崎弥太郎の三菱に150万円で払い下げられている。

「公園」の概念は、江戸時代には無かった考え方である。日本における「公園制度」は、1873年(明治6年)に遡らなければならない。新政府は、この年に太政官布告により「公園を造るので適地選定し伺い出なさい」というオフレを出し、日本で初めて「公園」という言葉を示したのである。それを受け、東京府は、浅草(金竜寺)・上野(寛永寺)・芝(増上寺)・深川(富岡八幡)・王子(飛鳥山)の5か所をノミネートとして受領される。なんと、4か所はお寺の境内、飛鳥山は吉宗が「享保の改革」で庶民に開放した桜の名所(明治には渋沢栄一が別荘を建てた)ではないか・・。明治初期における公園は、なんともお寺の境内だったのである。

そもそも「公園」という概念は、産業革命時代のイギリスの工場経営者によって考えられた。産業革命は、「工場労働者」という時間に基づいて働く人々の属性を新しく作り、彼らのライフスタイルを根本から変えた。当初は健康に多大な被害を及ぼした記録が残るが、労働者が余暇を過ごし精神的にも健康的な時を過ごすために「公園」を作った。酒場や運動場も公園という概念に含まれていたようである。

明治以降の近代化における「都市」や「公園」という概念は、「江戸時代の人」から「明治の人」になった庶民やお役人にはピント来なかったのかもしれない。1884年(明治17年)東京市は、公園・道路・橋・水道・下水・河川・運河といった社会インフラの計画「市区改正意見書」をまとめ、1885年(明治18年)内務省によって作られた「東京市区改正審査会」に提出した。この計画は、審査会による審査を経た「審査会案」として内務卿に上申するが、太政官政府は許可しなかった。しかし、この時作成したプランは、1988年(明治21年)の東京市区改正条例に基づく市区改正委員会の設置に繋がり、1890年(明治22年)に日本における都市計画法というべき「東京市改正設計」が出来上がる。当時の財源不足を受け、1904年(明治36年)に規模を縮小した「新設計」を作成することになるが、計画の当初より「日比谷公園」の計画が盛り込まれた。
この計画における「公園」は、第1:日比谷公園から第49:王子公園まで330haの計画であったが、先に述べた1873年(明治6年)の太政官制公園の他、実現したのは「日比谷公園」と日本橋兜町に隣接する中央消防署脇の「坂本公園」のみである。

陸軍練兵場跡地を「日比谷公園」にする計画は、1889年(明治22年)に都市計画決定され内務省は承諾する。しかしこの裁定には、当該土地が「地盤が悪く建物が建てられない」という評価があったようだ。
その後、設計が決まるまで紆余曲折と多大な時間がかかった。次から次へと「案」が出ては却下され、最後には辰野金吾が設計するがこれまた却下。。それだけ慎重になっていたのであろうが、議会や市民は「いい加減にしろ!!」と批判が相次ぐ中、東京市が設置した「日比谷公園造園委員会」が示したプランが選定された。1903年(明治36年)である。なんと14年間も時間がかかっている。

日比谷公園の設計者は本多清六博士である。彼は、造園家でヨーロッパへの留学を含め日本の造園学の「礎」でもある。公園をドイツ式にした理由は、ヨーロッパにおいて行政による公園造りはドイツが初めてであり、その設計には一日の長があったことを揚げている。ドイツ式七分、日本式三分の総合的近代公園の様式がとられた。公園内にある管理事務所がドイツ風バンガローなのは、このためである。そして「松本楼」も忘れてはならない。

日比谷公園が竣工した時は、開園前に沢山の人が門の前に並び一斉に園内になだれ込み、動けない日が連日続いたそうで、設計段階で問題視された「夜に花や木が盗まれる」とか「池を作ると身投げの名所になる」といったこともさほど問題にならなかったようである。

改めて都心の広大な公園を歩く。
そこは全くの「異空間」である。多くのそして大きなな木々、林にひとたび足を踏み入れると「江戸時代の波の音」や明治当初の「兵隊の掛け声」が聞こえて来るかもしれない。この公園も数々の歴史と思いが詰まっている。


なんとも感慨深い


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ドイツ風バンガローは管理事務所である

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タグ:DP1 公園 日比谷
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cjlewis

全然知りませんでした。。。
またひとつ、勉強させていただきました。感謝!
しかし、開園前に沢山の人が門の前に並び一斉に園内になだれ込み、動けない日が連日続いたって、そりゃ、公園の役目果たしてないだろ!って笑いましたが、「夜に花や木が盗まれる」「池を作ると身投げの名所になる」って発想にも相当びっくりです。。。
by cjlewis (2010-02-15 21:51) 

tm-photo

歴史をひも解いて見ると本当に感慨深いですね
いつも勉強になります。
by tm-photo (2010-02-16 19:24) 

雉虎堂

日比谷といえば焼打ち事件。
人が集まってワイワイ言っているうちに
集団心理が働いて暴徒化する、という現象
今は公園ではなくてネットでよく見られますね
by 雉虎堂 (2010-02-16 22:48) 

esme

>cjlewisさま
当時は、いろいろな心配事があったみたいですヨ。。身投げ防止のため池の周辺を浅くしたそうです・・・。なんせ、日本で初めての「西洋式遊園」ですから。。

>tm-photoさま
日本て、明治以降の歴史が面白いですよね!!曾祖父ぐらいの人達が生きてた頃ですしね、ただ学校の授業ってこの辺の時代は三学期の終わり近くになって「あとは、読んどいてください・・」みたいになっちゃいませんでした??教えにくかったのかな。。

>雉虎堂さま
よく考えると何万人って人が集まれるのは、この日比谷公園ぐらいだったんでしょうね。。日比谷公園に集まって、国会議事堂へ・・・集合場所としてもベストポジションだったりして・・・・・。

by esme (2010-02-17 22:00) 

opas10

たまたま藤森照信センセイの本を読んでいたら日比谷公園のことが書いてありました。本多博士は辰野金吾の部屋によく出入りしていて、公園の設計に四苦八苦している辰野にヨーロッパの公園の事例をアドバイスしていたそうで、案を却下されていい加減うんざりした辰野が「じゃあここから後はよろしく」と本多に押しつけた(笑)、なんてことを書いてました
by opas10 (2010-02-20 11:10) 

esme

>opas10さま
藤森先生って、建築家っぽくないところが好きです。鈴木博之先生も同様ですね。東京の地霊(ゲニオスロキ)は大好きな一冊です。
明治の人達が、西洋の文化を日本の地で「表現」するには相当苦労したんですね。建築はともかく「公園」は特に。。でも素敵な場所になっていますよね、本多博士は今の日比谷公園を見てどんな感想を述べるのでしょうか?聞いてみたいものです。。
by esme (2010-02-21 03:00) 

21世紀中年

映画『金融腐蝕列島[呪縛]』の中で日比谷公園がすごく印象的に扱われていたのを思い出しました。
by 21世紀中年 (2010-03-06 23:52) 

esme

>21世紀中年さま
その映画見ていません・・。DVD借りてこよっと。
by esme (2010-03-10 22:57) 

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