旧新橋駅舎 [建築構造物]

汐留・銀座2009.09J.Yama0045.JPG
日本の近代化遺産にこだわるわけではないのだが、ついつい目がそこに行ってしまうことをお許し願って、今回は日本で最初の鉄道駅「旧新橋駅舎」である。

この建物は、超高層ビルが立ち並ぶ「汐留シオサイト」の昭和通りに面した場所に当時とほぼ同じ形で再構築されている。ここも、江戸初期に埋め立てられた土地で江戸時代には仙台藩:伊達家、会津藩:保科家、龍野藩:脇坂家の屋敷があった場所である。建物の中は、鉄道関係のちょっとした博物館になっていて、当時をしのばせる写真も沢山展示されていて建物の中から当時の建物基礎やレールに一部などもガラス越しに見ることができる。

国内輸送は、明治・大正・戦前の昭和はまさに鉄道が主役であり、明治の鉄道は日本の近代化の象徴でもあった。新橋~横浜(桜木町)の29㎞の開通は1872年(明治5年)であるが、その後30年間で延べ営業距離は7,000㎞におよぶ。いかに急激に鉄道を作ったか、いや、いかに急激に近代化したかが分かる。単純計算で休みなく1日640mづつ30年間作り続けなければこの数字にならない・・・・。アーノルド・トレンビーをはじめ当時の欧米人が驚愕するのも無理はない。

新橋~横浜(桜木町)間の所要時間は53分。29㎞を休みなく歩き続けても8時間、当時の東海道は横浜までの間に品川、川崎、神奈川の宿場が置かれていて普通なら一日半は掛っていたことだろう。もし、当時広告屋がいたら「空飛ぶ鳥のように、夢の蒸気機関車開通!! 横浜まで海を見ながら53分!!」ってなコピーになるのか・・・。
国際港である横浜と東京を結ぶ鉄道は、さしづめ今なら成田空港と東京結ぶ「スカイライナー」「NEX」か??


この建物は、上等・中等の客が利用したそうである。
今見ても堂々としている。当時の人々が目にした時には、「日本も凄いぜ!!」と思わせるに足りる建物であったに違いない。設計はブリジェンス氏アメリカ人である。


なんとも美しい


汐留・銀座2009.09J.Yama0047.JPG

汐留・銀座2009.09J.Yama0044.JPG

汐留・銀座2009.09J.Yama0054.JPG

汐留・銀座2009.09J.Yama0043.JPG

汐留・銀座2009.09J.Yama0060.JPG

0哩標識

汐留・銀座2009.09J.Yama0067.JPG

1873年製英国製双頭レール(1067mmの狭軌)

汐留・銀座2009.09J.Yama0072.JPG

汐留・銀座2009.09J.Yama0040.JPG

nice!(16)  コメント(11)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 16

コメント 11

opas10

1日630mを30年ですか・・・・あの当時の日本の国力を考えると想像を絶するスピードですね。司馬遼太郎さんではありませんが、明治という国家がいかに必死に近代化に取り組んでいたか、いじらしさを感じますね~。
by opas10 (2010-02-21 19:33) 

tm-photo

ここは撮ったことあるんですが後ろの高層ビル群とどうも絵がかみ合わなくて部分的な写真ばかりになってしまいました^^
by tm-photo (2010-02-21 21:37) 

esme

>opqs10さま
日本人は物まねがうまいいと言われますが、土木事業は「その場所で作るオーダーメイド」ですから、その土地に合った構造や資材調達・搬入、など総合的な「知恵」を求められます。これは「西洋のものまね」では決してできません。城や河川事業、築港技術の基礎がしっかりしていたからだと思います。先人達が頭を突き合わせて真剣に考え、一つ一つの問題を解決していった結果ですよね。。・・・でも凄い情熱です。。

>tm-photoさま
コメントありがとうございます。
後ろの超高層とのギャップというか、違和感が僕も感じました。東京って凄いことになってますよね・・・。短焦点のDP1(28mm)でのアングルも苦労しました。。昭和通りの反対側から長いレンズで取れればいいんですが、、カメラこれしかないもんで・・・・。

by esme (2010-02-21 22:21) 

cjlewis

先日、この近くになる会社に打ち合わせに行ったのですが、ビルの谷間にこんな建物があったの、見逃してました。。。
で、その会社の受付横に手すり状のものがあり、ちょうどバッグを乗せるのにちょうどよかったんで、バッグを乗せて待ってたら、現れた得意先の担当者に「それ、何だと思います?」と言われ、、、
汐留のターミナルを解体するときに譲り受けたという電車のレールでした。。。
今度行ったら、ぜひ博物館も見てみたいと思います。
by cjlewis (2010-02-22 18:00) 

esme

>cjlewisさま
明治15年に、この新橋駅から中央通りを日本橋方向、浅草まで馬車鉄道が運行されたようです。明治36年に市電が同じ軌道を走るまでの21年間、馬がこのあたりに沢山いたようです・・・ 最盛期にはなんと2,000頭!!
馬も身近な存在だったんだろうなぁ。。
手摺のレール、お宝ですね!!
by esme (2010-02-22 20:52) 

ryubi-gentoku

おひさしぶりです☆
なんとも美しい。健在ですね。
by ryubi-gentoku (2010-02-23 20:04) 

esme

>ryubi-gentokuさま
コメントありがとうございます。
いやはや、、年度末が近くなにかとバタバタ・・・と。。
拙いブログですが、今後ともよろしくお願いいたします。。
by esme (2010-02-23 22:32) 

雉虎堂

(ё_ё;)こんなところがあるんですね
♪汽笛一声新橋を~今我汽車は離れたり~
の新橋は、ここということでしょうか?
by 雉虎堂 (2010-02-26 08:06) 

esme

>雉虎堂さま
まさにこの駅です。「鉄道唱歌」は、1900年(明治33年)に作られているので、現在の新橋駅(旧烏森駅)が東京駅が出来て路線とともに移動する1914年(大正3年)以前の歌ですから。
この駅は「0哩標識」とともに日本の鉄道の原点なんですね・・・凄い場所なんですね。。今ではビルに囲まれちゃってるけど。。
by esme (2010-02-27 12:19) 

21世紀中年

近代的超高層ビルとの対比がおもしろいですね。
by 21世紀中年 (2010-03-06 23:56) 

esme

>21世紀中年さま
いやはやこのあたりのビル群は「あっと」いう間に出来ちゃいましたよね・・。人間て凄いですよね。。
by esme (2010-03-10 22:53) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。