鞆の浦 [地域]

鞆の浦25.JPG
鞆港にある常夜灯(灯台)である。



広島県の岡山県境に近い福山から瀬戸内海に向かいバスで約30分、鞆港がある。
現在は、「崖の上のポニョ」を構想した地であるとか、埋立て、架橋問題で町が揺れているなどのニュースを聞くことが多い。

瀬戸内海は東に紀伊水道、西に豊後水道の2つの水道により外海とつながっている。
2つの水道が潮汐の影響を受けるとき、とてつもない潮の流れが発生し、瀬戸内海は両方向からの海水がぶつかったり、海水が逆方向退いてゆく。その境目にあたる場所にあるのが、鞆の浦である。
この港は、潮待ち港として栄えた。北回船が日本海から関門海峡を通って大阪に入る時、朝鮮通信使が海路で大阪淀を訪れ東海道の陸路を行く時も「鞆」に寄ったのである。
海の難所でも名高い。島が多く潮が複雑に流れるため、動力船がない時代にはこれらの海象と風を熟知しなければ目の前に見えている島にさえもたどりつけないのである。この海を熟知した者が「水軍」として時の権力者に徴用されたのである。

蒸気船が走る幕末のころ、この鞆の浦で大変な事が起こる。「いろは丸事件」である。坂本竜馬率いる海援隊の船であるいろは丸と幕府紀州藩の軍艦「明光丸」が衝突し、いろは丸が沈没する。ここで竜馬は外国人を入れ賠償金を手中にする。ひょっとすると日本で最初の海難審判だったのかもしれない。いろは丸に歩があったと認められた理由は、「ログ・ブック(航海日誌)」をきちっとつけていたからともいわれている。その際、竜馬が当初身を潜めたのがこの鞆でもある。

鞆には、町並みと「雁木」を見に行った。
雁木は、古い時代の岸壁・埠頭であり、陸から見ると海に向かって石階段状に降りて行く。海から見ると船を潮の高さに応じてつけることができる構造になっている。港が活況を呈する時代には、沢山の船が雁木に横付され多くの人が威勢のいい声をあげながら荷を運んだに違いない。
夕日に染まる瀬戸内海、古い街並みが残り、かつて朝鮮通信使が「日東第一形勝」と褒め称えた鞆の浦


なんとも美しい


鞆の浦21.JPG


鞆の浦3.JPG

かつて朝鮮通信使らが定宿とした福禅寺


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雁木


鞆の浦14.JPG


鞆の浦17.JPG






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コメント 4

こうちゃん

ちょっと、小津安二郎を思い出しました。
by こうちゃん (2009-11-10 00:04) 

cjlewis

雁木、、、経験に基づく、昔の人の知恵ってすごいですね。
この美しい町並みを見るに、さぞかし繁栄していたのでしょうね。
石畳なのにびっくりです!

by cjlewis (2009-11-10 23:16) 

tm-photo

いいいですね~
私も行ってみたい。
by tm-photo (2009-11-11 21:05) 

esme

>こうちゃんさま
尾道は鞆の西側の港ですね。小津安二郎が見た鞆の浦は今よりもっと美しかったのでしょうか・・・
>cjlewisさま
街の入り口に「タイムマシン」か「どこでもドア」があるのかも知れません。
>tm-photoさま
瀬戸内海は豊かな場所ですよ、食べ物も美味しいし・・是非お出かけしてみてください。
by esme (2009-11-12 23:18) 

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