横浜開港記念館 [建築構造物]
横浜の塔のある建物、最後は「ジャックの塔」こと国の重要文化財「横浜開港記念館」です。
以前取り上げたクイーン(税関)、キング(県庁)の建物は、いずれも関東大震災以降に建築され、且つ「官庁」によって(税金を使って)建てられた役所の施設である。しかしながら、この建物は1917年(大正6年)に、当時絹の貿易で富を得た商人を含む市民の寄付によって記念館(開港50年記念事業)として創建され、以後公会堂として現在まで使われている。この建物に対する市民の思いは、ことのほかであるに違いない。
赤レンガと花崗岩を使った建物は、東京駅にも似ている。「辰野フリークラッシック」という建築様式と言われる所存である。設計は今で言う「コンペ」によって福田重義の案が採用され、山田七五郎などによって設計は完成する。
横浜開港に至るまでこの場所は、人の住まない洲になっていて、現在のJR根岸線と平行に地下を走る首都高の位置に中村川が流れていた。
中村川は、元町の山裾を流れる川であるが、海に直接流れていたのではなく90°に曲がって現在の桜木町あたりで大岡川と一緒になり海へつながっていた。今の桜木町駅は元は入り江で幕末に埋め立てられた土地である。
幕府は、開港にあたり、長崎の出島をイメージして中村川を直接海と結び、これにより3辺の川と海によって開港地を管理しようとした。「関内」という名は当時の名残りである。また日本大通りを中心に横浜側を日本人居留区、山下公園側を外国人居留区として都市を設計した。
開港当初、開港記念館のあるこの場所には「石川屋」という生糸貿易商が店を構えていた。この店は当時横浜の警備にあたった越前福井藩が出資して出店したもので、近代日本美術を牽引した岡倉天心の父親が支配人を勤め、彼はここで生まれ育っている。
その後、この場所には「町会所」という町政を行う建物が建つ。その当時にすでに時計台のある塔があり、現在の"ジャック"はその意匠を踏襲したものである。
関東大震災の時、塔を含むレンガと石造りの外壁は残ったものの内部と屋根は焼けてしまったが、1923年(昭和(2年)に復興する。
終戦後は、アメリカ軍に接収され映画館として利用され、関内エリアはまさに「アメリカ」であった。マッカーサーが厚木飛行場にコーンパイプを咥えて日本の地を踏む映像は何度も見ているが、彼がその後すぐに向かったのはここ横浜にある「 HOTEL NEW GRAND 」である。
この写真を撮りに行った日、ボランティアの解説者がいろいろと話を聞かせてくれた。80歳になられた方ではあったが、滔々と喋る語り口には驚かされた。彼の言葉の端々に「横浜」を愛する心がにじみ出ていて嬉しい気持ちになった。とっても素晴らしい時間を過ごされているに違いない。
余談ではあるが、先日の日曜日に第2回を放映したNHK特別ドラマ「坂の上の雲」で、好古が陸軍大学校の校舎の中で、フランス留学を友人に問われるシーンは、この開港記念館を陸軍大学校に見立ててロケをしたそうだ、また今後の放送予定の映像にも幾度となくこの建物を使ったシーンが予定されているとのこと・・これも楽しみである。
21世紀も10年目を迎えようとする今、幕末・明治の物語りや記憶が目の前で見ることができ、市民に愛され続けているこの建物
なんとも美しい
この窓と入口を覚えていてください。
塔へ続く螺旋階段
本当に美しいですね。
無駄がないのに洒落た遊び心のある、優美さを感じます。
「関内」の由来、初めて知りました。
by cjlewis (2009-12-11 12:17)
ここは何度も行っているのに
こちらの写真で見るとまるで違って見えます
無人の美しい建物
昔の記憶を反芻しているようですね
by 雉虎堂 (2009-12-11 18:07)
7枚目の写真の階段のデザイン、いいですねえ。
by 21世紀中年 (2009-12-13 00:14)
なんか中世の会議室のようで、すばらしいですね。
by こぐまね (2009-12-14 22:41)
>cjlewisさま
素敵な空間でしたよ。横浜にはまっています。。
>雉虎堂さま
コメントありがとうございます。
平日の昼下がりだったので、あまり人がいませんでした。っていうか講堂ではシンポジウムやってました。。現役の建物なんですね!!
>21世紀中年さま
螺旋階段のようでしたよ、あまり古さは感じませんでした。。
>こぐまねさま
貿易商の方々は、利益の5/1000を寄付したそうです。大したもんですね!!
by esme (2009-12-21 01:32)