神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店本館) [美術・博物館]

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この建物は、馬車道に面した場所にある。



「馬車道」という名前には何か想像力を掻き立てる「音(おん)」が込められている。ストリートやアベニューといった道や通りを表す固有名詞以上のものだ。開国当初、この通りは馬車が走った大繁華街であり、日本で最初の写真館、アイスクリーム・ショップ、ガス灯、街路樹や劇場といった最先端の事物を目の当たりにできた。そこには、物語りや歴史が凝縮しているだけでなく、憧れ、希望、明るさ、悲しみ、喧噪や少年のような落着きのなさも内包されていたに違いない。
しかしながら、現在の馬車道を関内駅側から歩くと落胆せざる負えない、ふつうの商店街なのである。それも飲食店が多く、けして心躍るものでない。冷静に考えると、ここを通って何処に行けばいいんだろう?とさえ思ってしまう。近代化の歴史において、人々が街に求めるものが変質し、「利便性」「集客のしやすさ」「移動方法」「機能別合理的ゾーニング」や「意図的な導線誘導」といったことが街の重心移動を招いたのだろう。街は生き物であるとしても残念である。

かつて、この博物館は横浜正金銀行の本店であった。横浜正金銀行は、為替銀行としての機能や紙幣と銀貨の引換えなど海外貿易の金融機関として輸出拡大に貢献するだけでなく、世界各地に支店を設立し日本の海外資産の管理、為替政策の一躍を担った。鎖国を解いた日本が世界を相手に商売をする上で大変重要な役割を果たした銀行であった。正金とは現金を意味する。敗戦後の1947年(昭和22年)普通銀行「東京銀行」として開業し、この建物は東京銀行横浜支店として再出発した。承知の通り現在の三菱東京UFJ銀行である。
その後、1964年(昭和39年)に神奈川県が土地建物を取得し、1967年(昭和42年)に神奈川県立博物館、1995年(平成7年)神奈川県立歴史博物館に名称変更し、現在に至る。

この建物は、1904年(明治37年)に妻木頼黄(つまきよりなか)の設計により完成した。妻木は、三菱一号館、綱町三井倶楽部を設計したジョサイア・コンドルに学び辰野金吾の後輩にあたる。横浜赤煉瓦倉庫も彼の設計だが、日本橋の橋の意匠も手掛けている。関東大震災、第二次世界大戦を生延び、建物は国の重要文化財、また敷地を含めた史跡にも指定されている。


なんとも美しい


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コメント 4

こうちゃん

Merry Christmas to you!!^^*
by こうちゃん (2009-12-24 00:51) 

cjlewis

I wish your merry Christmas !
多忙につき、駆け足訪問で失礼いたします。
改めてコメントさせていただきます。
by cjlewis (2009-12-24 13:18) 

21世紀中年

たしかに、街は生き物とはいえ、いまの馬車道に昔日の面影はないですね。残念なことです。
よいクリスマスをお過ごしください。

by 21世紀中年 (2009-12-24 19:21) 

esme

>こうちゃんさま
御訪問ありがとうございます。素敵な時間をお過ごしください!!
>cjlewisさま
御多忙の中での御訪問ありがとうございました。きっと素敵なクリスマスを過ごしたことでしょう。また寒くなりそうですがご自愛ください。
>21世紀中年さま
日本を代表する「港町」が変遷する姿を興味深く見ていきたいと思います。年末のお休みに入るのでしょうか?是非、英気を御養いください。来年に向けて・・・。。
by esme (2009-12-26 01:53) 

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